昔のSMAPは6人だった!森且行脱退の真相と知られざる下積み秘話
日本中を熱狂させ、数々の金字塔を打ち立てた国民的グループ・SMAP。解散から年月が経過した2026年の現在においても、その圧倒的な影響力と残した足跡は色褪せることなく語り継がれています。しかし、今や伝説となった彼らにも、華々しいスポットライトの裏で「アイドル冬の時代」に直面し、泥水をすするような過酷な下積みを経験した「6人時代」が存在しました。
なかでも、人気絶頂期に突如として発表された森且行の電撃脱退や、コント番組で体当たり演技を披露したバラエティ黎明期の軌跡は、従来のアイドル像を根底から覆すドラマに満ちています。本稿では、当時の関係者証言や貴重な一次資料、メンバー自身が語った回顧録を徹底取材。結成当時の苦闘から6人体制の真実、そして現在の関係性までを余すところなく紐解いていきます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:結成当初のSMAPは6人体制であり、歌番組激減の「アイドル冬の時代」にデビューシングルが首位を逃す過酷なスタートを切っていた。
- 要点2:『夢がMORI MORI』や『音松くん』などのコント番組へ進出し、従来の王道アイドルが避けていたバラエティ路線を開拓したことが大ブレイクの原動力となった。
- 要点3:森且行の脱退理由は不仲ではなくオートレーサー養成所の年齢制限(23歳未満)によるものであり、メンバー間の絆は2026年の現在も強固に続いている。
【6人時代の衝撃】昔のSMAP結成当時の人気と「アイドル冬の時代」の苦難
SMAPは1988年4月、光GENJIのバックダンサーグループ「スケートボーイズ」の主要メンバー12人の中から、中居正広、木村拓哉、稲垣吾郎、森且行、草彅剛、香取慎吾の6名によって結成されました。結成当時の平均年齢はわずか14歳。最年少の香取慎吾に至っては当時小学校6年生(11歳)という幼さでした。
ジャニーズ事務所の王道グループとして華々しいスタートを切るかに見えましたが、彼らを待ち受けていたのは芸能界における「アイドル冬の時代」という過酷な逆境でした。1980年代後半から1990年代初頭にかけて、『ザ・ベストテン』や『夜のヒットスタジオ』といったゴールデンタイムの大型音楽番組が相次いで終了。歌を披露するプラットフォームそのものがテレビから激減していた時期だったのです。
1991年9月9日、シングル『Can't Stop!! -LOVING-』で待望のCDデビューを果たしたものの、オリコン週間シングルランキングはまさかの初登場2位。当時の所属事務所にとって「デビュー曲の1位獲得」は絶対の至上命題であり、先輩グループが達成してきた記録が途絶えた瞬間、周囲の空気は凍りついたと伝えられています。
デビュー直後に行われた西武園ゆうえんちでの握手会イベントでは、台風直撃による大雨に見舞われ、会場の電源設備がショートしてマイクが使えなくなる前代未聞のアクシデントも発生。メガホンを片手に肉声でファンに呼びかけ続けたエピソードは、後にリーダーの中居正広自身が「あの悔しさと惨めさが、俺たちの原動力になった」とテレビ番組の回想録で語るほど、若き日の彼らに強烈なハングリー精神を植え付けました。

【バラエティ革命】『夢がMORI MORI』から『音松くん』へ|体当たりの軌跡
歌番組という主戦場を失った6人が見出した活路は、当時の男性アイドルがタブーとしていた本格的なバラエティ番組への進出でした。その決定的な契機となったのが、1992年4月にスタートしたフジテレビ系バラエティ『夢がMORI MORI』へのレギュラー出演です。
森口博子や森脇健児らとともに、本格的なコントやキックベース対決に挑戦。アイドルでありながら顔面パイを受け、着ぐるみを着て泥まみれになり、鼻フックすら辞さない体当たりの姿勢は、お茶の間に強烈なインパクトを与えました。この番組内で誕生したのが、赤塚不二夫の『おそ松くん』をパロディ化した伝説のコント『音松くん』です。
メンバーそれぞれにイメージカラーと強烈なキャラクターが割り当てられたこの企画は、後にグループの代名詞となる「個々のキャラクター性」を決定づけることになります。
| メンバー | 音松くんの役名とカラー | 当時の主なキャラクター・役割 | 編集部の分析・その後の影響 |
|---|---|---|---|
| 中居正広 | 青松(イメージカラー:青) | 仕切り役・熱血キャラ・オチ担当 | 後に国民的司会者へと昇華するMC力の基礎を確立 |
| 木村拓哉 | 赤松(イメージカラー:赤) | 正統派二枚目・ナルシスト風コント | 「カッコいいのに笑いも取れる」唯一無二のカリスマ性を構築 |
| 稲垣吾郎 | 桃松(イメージカラー:ピンク) | 潔癖症・お嬢様キャラ・マイペース | 上品さとコミカルさを両立させた独特の立ち位置を獲得 |
| 森且行 | 白松(イメージカラー:白) | 料理上手・抜群の歌唱力・天然ボケ | ビジュアルとボーカルの要でありグループの調和役として機能 |
| 草彅剛 | 黄松(イメージカラー:黄) | 純朴・いじられ役・バク転担当 | 愛されキャラと抜群の身体能力で視聴者の共感を獲得 |
| 香取慎吾 | 緑松(イメージカラー:緑) | 末っ子暴走キャラ・大食い | 型破りな表現力と明るさで国民的キャラクターの萌芽を形成 |
1996年4月には、グループの冠番組となる『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)が月曜夜10時枠でスタート。「BISTRO SMAP」や本格的なコントなど、エンターテインメントの粋を集めた演出は初回から視聴率22.4%を記録し、バラエティ界の頂点へと駆け上がっていきました。
【電撃脱退の真相】森且行がオートレースへ転身した理由とメンバーの涙
グループがメガヒットを連発し、冠番組『SMAP×SMAP』もスタートして名実ともにトップアイドルへの階段を登り詰めていた1996年5月、芸能界を揺るがす大事件が起きます。森且行の芸能界引退およびオートレーサー転身の電撃発表でした。
森且行は当時、木村拓哉と並ぶ抜群のルックスとトップクラスの歌唱力を誇り、女性誌の「抱かれたい男ランキング」でも常に上位にランクインする屈指の人気メンバーでした。その彼がなぜ、突如としてすべての栄光を捨てて危険な勝負の世界へ飛び込んだのでしょうか。
当時の記者会見や後年の手記において、森は「オートレース選手になることは、幼い頃からの絶対の夢だった」と明かしています。転身を決断させた最大の要因は、オートレース選手養成所の受験資格に存在した「23歳未満」という年齢制限でした。当時22歳だった森にとって、第25期選手候補生募集は人生最後のチャンスだったのです。
倍率50倍を超える難関試験を極秘裏に受験し、見事合格を果たした森は、グループを離脱する決断を下します。一部メディアでは「メンバーとの不仲」「事務所との対立」といった憶測が飛び交いましたが、真相は純粋な夢への挑戦でした。
1996年5月末に放送された『SMAP×SMAP』の森且行ラストステージでは、メンバー全員が号泣しながら代表曲『BEST FRIEND』を熱唱。リーダーの中居正広は涙で声を詰まらせながら「お前が選んだ道なんだから、日本一のオートレーサーになれ」とエールを送り、木村拓哉も固く抱擁を交わしました。このときの「互いにそれぞれの世界でトップを目指す」という約束が、その後の5人と森の生き様を支える強い絆となっていきます。

【徹底比較】昔のSMAP(6人時代)と黄金期(5人時代)の変遷データ一覧
森且行の脱退という最大の危機を乗り越えたSMAPは、5人体制となってさらなる飛躍を遂げます。6人時代と5人体制の変遷をデータと代表作で比較すると、彼らの進化の軌跡が浮き彫りになります。
| 比較項目 | 6人時代(1988年〜1996年5月) | 5人黄金期(1996年6月〜2016年) | 変遷のポイント・分析 |
|---|---|---|---|
| 主な代表曲 | 『Can't Stop!! -LOVING-』 『笑顔のゲンキ』 『オリジナル スマイル』 『がんばりましょう』 『どんないいこと』 | 『青いイナズマ』 『SHAKE』 『夜空ノムコウ』 『らいおんハート』 『世界に一つだけの花』 | 6人時代のヒップホップ・ポップス路線から、ミリオンセラーを連発する国民的アンセムへ昇華 |
| CD最高売上 | 約72万枚(『がんばりましょう』) | 約313万枚(『世界に一つだけの花』) | 森脱退直後の『青いイナズマ』で初の80万枚超を記録し、以降ミリオン常連へ |
| 冠番組・主戦場 | 『夢がMORI MORI』 『アイドル共和国』 『SMAP×SMAP』(初期2ヶ月) | 『SMAP×SMAP』(最盛期視聴率34.2%) 各メンバーの単独冠番組多数 | 集団コントから、国内外のVIPを招く超一流エンターテインメントショーへとスケールアップ |
| グループ内の力学 | 森・木村の2枚看板ツインボーカル+中居のリーダーシップ | 木村のエース固定と4人の個性派(MC・芝居・アート・バラエティ) | 森の脱退による歌唱・ビジュアルの空白を、各メンバーが個々の特化スキルを磨くことで埋めた |
噂の真偽を徹底検証|「6人時代の映像封印」と現在の関係性
長年にわたりインターネット上やファンの間で囁かれていたのが、「森且行の存在および6人時代の映像はテレビ界でタブー視され、公式に封印されていたのではないか」という疑惑です。
事実、森の脱退後、過去のヒット曲を振り返る音楽特番や事務所の公式アーカイブ映像において、森且行の歌唱パートが不自然にカットされたり、5人だけが映るカメラアングルが優先的に使用されたりする時期が長らく続きました。これについて業界関係者は「脱退して一般公営競技のプロ選手となった一般人への肖像権配慮という名目と、旧体制下の芸能界における契約慣例が重なった結果」と証言しています。
しかし、メンバー自身の心の中で森の存在が消えることは決してありませんでした。2014年の『FNS27時間テレビ』(フジテレビ系)でSMAPが総合司会を務めた際、グランドフィナーレで森且行からの直筆の手紙がサプライズで読み上げられた場面は、多くの視聴者の涙を誘いました。
手紙の中で森は、メンバー一人ひとりへの感謝と謝罪を綴り、最後は「SMAPの友達、森且行」と結ばれていました。リーダーの中居をはじめ、全員が号泣しながら手紙に聞き入る姿は、事務所の垣根を超えた本物の友情を証明する瞬間でした。
そして2020年11月、森且行は「SG第52回日本選手権オートレース」で見事に初優勝を果たし、24年越しで「日本一になる」という約束を有言実行しました。この快挙に対し、木村拓哉は「それぞれの選んだ道で、それぞれが掴むもの。これからもお互いに、精進落とさず行きましょう」とコメントを発表。新しい地図(稲垣・草彅・香取)や中居正広も熱い祝福メッセージを即座に送りました。
2026年現在では、テレビ番組やインターネット配信番組でも6人時代の話題や映像が自然に取り上げられるようになり、不仲説や確執といった噂は完全に過去の誤解であったことが立証されています。
【プロの結論】組織社会学から読み解くSMAPの「自立型チームモデル」
昔のSMAPが歩んだ軌跡は、単なるアイドルの成功物語にとどまらず、組織論やキャリア形成における極めて高度なモデルケースとして分析することができます。
従来の昭和型アイドルグループは、全員が同じ衣装を着て同じ振付を踊り、センターを引き立てる「同質性」を重視した組織構造でした。しかし、SMAPは「アイドル冬の時代」という市場の構造不況に直面した際、以下の3つのパラダイムシフトを成功させました。
- 逆境におけるピボット(路線転換):歌番組の消滅に対し、プライドを捨ててバラエティやコントという未開拓領域へ果敢に参入したこと。
- 特化型スペシャリストの育成:全員が同じことを目指すのではなく、司会(中居)、ドラマ(木村)、文化・芝居(稲垣)、憑依型演技(草彅)、アート・コメディ(香取)と、個々が異なる武器を獲得したこと。
- 個の自立とリスペクト:森且行の脱退に象徴されるように、組織への盲従ではなく「個人の夢」を尊重し、別々の道でも高め合える心理的安全性を築いていたこと。
チームの危機に直面したとき、同質性に逃げ込むのではなく、各自が唯一無二の専門性を磨いて外部で戦い、その成果をグループへ還元する。昔のSMAPが構築したこの「自立分散型チームモデル」は、現代のビジネスパーソンや組織マネジメントにとっても色褪せない重要な教訓を示しています。
【昔のSMAP】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:森且行がSMAPを脱退した本当の理由は何ですか?メンバーとの不仲だったのですか?
A1:不仲説は完全な誤りです。脱退の真相は、森且行が幼少期から抱いていた「オートレース選手になる」という夢を叶えるためでした。選手養成所の受験資格が「23歳未満」と定められており、当時22歳だった森にとってラストチャンスだったことが電撃的な転身の決定打となりました。
Q2:昔のSMAPのデビュー曲がオリコン1位を獲れなかったというのは本当ですか?
A2:事実です。1991年9月9日リリースのデビューシングル『Can't Stop!! -LOVING-』は、オリコン週間チャート初登場2位でした。当時は音楽番組が激減していた「アイドル冬の時代」であり、この悔しいスタートがメンバーのハングリー精神とバラエティ進出への原動力となりました。
Q3:『音松くん』のメンバーカラーと、その後のSMAPの公式カラーは同じですか?
A3:一部異なります。『音松くん』では中居が青、木村が赤、稲垣がピンク、森が白、草彅が黄、香取が緑でした。その後、森の脱退や『SMAP×SMAP』の「BISTRO SMAP」などを経て定着したカラーでは、中居がピンク(青も併用)、木村が赤、稲垣が青、草彅が黄、香取が緑として扱われるケースが増えました。
まとめ:時代を切り拓いた6人の開拓精神が遺したもの
昔のSMAPが過ごした「6人時代」は、決して順風満帆な栄光の連続ではありませんでした。デビューシングルの挫折、歌番組の激減、泥まみれのコント、そして人気絶頂期におけるかけがえのない仲間の脱退という、数多くの試練の連続でした。
しかし、その過酷な逆境をアイデアとハングリー精神で跳ね返し、バラエティという新天地を切り拓いたからこそ、彼らは平成を象徴する唯一無二の国民的グループへと成長を遂げることができました。
2026年を迎えた今もなお、オートレースの第一線で戦い続ける森且行と、それぞれのフィールドで表現を続ける5人の絆は続いています。彼らが若き日に見せた泥臭い挑戦と開拓者精神は、時代を超えて私たちの背中を押し続けています。 (出典: 昔 の smap(Yahoo!ニュース))